ご挨拶

スタッフの佐々木と申します。

事務所移転に伴い心機一転、これから日々の活動内容や雑感を書くようにと仰せつかりましたので、まだまだ勉強中の新人納棺師ではありますが、皆様方にお湯灌の素晴らしさを知っていただけるよう、努めて参ります。

先日のご当家での出来事です。

故人様は初老の男性で、まだ小さいお孫さんがふたりいらっしゃり、おふたりはとてもおじいちゃん子だったそうです。
私どもがお宅に入り、お湯灌を始めるまで、ご家族の皆様には20分ほどお時間をいただいて、実際にお湯灌をさせていただくお部屋にて準備をさせていただくのですが、おふたりはとても気になるようで、付近を落ち着かないままうろうろ、辛くても何かおじいさまにできることはないかと探ってくれていたように感じました。
どれだけ‟おじいちゃん”と慕っていたか、またどれだけお孫さんを愛し、大切にされていたかが窺い知れたように思います。

昔は家族や近所の方々が、お亡くなりになった方を洗って差し上げたと聞いております。地域地域によって作法に細かな差異はあっても、身近な方の手によって洗われたり拭かれたりすることがいちばんの幸せだったのかもしれません。その風習は全国的にみられなくなり、湯灌自体が忘れ去られた時期もあったようです。
近年、少しずつではありますが、陽の目をみるようになっているそうです。

本来ご家族の方によってなされるべきお湯灌のあり方を尊重し、ご家族の方にご協力いただけることはなるべくお伝えするようにし、皆様方とともに「お湯灌の儀」を勤めさせていただきたく、今回もふたりのお孫さんをはじめ、ご家族の方々のお力添えをいただきました。

忘れられない心温まる一コマもございました。

故人様の全身を隈なく洗わせていただき、その後、しっかりと拭かせていただくのですが、時間が許す限りお手とお足はご家族の皆様に拭いていただければとご意向をお伺いし、お拭きいただきまして、今回も大変喜んでくださいました。

「おじいちゃん、ありがとう」と声にならない声をあげながら、何度もしっかりと、濡れている場所がなくなるように、小さな両手で慣れないながらも、ひたむきに、故人様にタオルで拭いてさしあげるお姿に、お湯灌が、ただ単にお身体をお洗いするだけではない、「お湯灌の儀」であるということを強く確信いたしました。

以前、台湾からの留学生から聞いたのですが、台湾では、日本でいうところの湯灌師または納棺師を「禮儀(礼儀)師」と呼ぶそうです。

その漢語表現には、ただただ、頷くばかりでした。

私どもにとっては、何度もある場面であるように思えても、立合われる皆様方と故人様にとっては一度でしかない場面であることを忘れることなく、今後も励んで参ります。

お湯灌を終え、挨拶をさせていただき、最後お宅の玄関を出るところ、小さなお孫さんが、私どもの背中に向かって大きな声で叫んでくださいました。

「ありがとうございました」

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